群馬シルクの歴史
明治5年(1872年)7月明治政府の「殖産興業」政策のもと、日本で最初の官営製糸工場として蚕糸業のみならず、日本の近代化への期待のもと開所しました。ここから日本の産業革命が始まっていきます。
江戸末期の開国以来、生糸は日本の主要輸出品でしたが、この当時の生糸は座繰りで繰糸されるため糸の太さにムラがあったり、大量に生産できないなどの欠点がありました。
そのため重要な輸出品である生糸の品質を一定にし、器械による大量生産を行うために大規模な工場の建設が必要とされたのです。
富岡に官営製糸場が建設された要因は、
ア 西毛は養蚕地帯で原料の繭の確保が容易である。
イ 繰糸に必要な水が豊富にある。
ウ 広大な用地の取得が比較的容易であった。
エ ボイラーの燃料の石炭(亜炭)が近隣で採掘できた。
等がありました。
富岡製糸場で働いていた工女の出身地は日本各地にわたっていました。
彼女たちは仕事を終え帰郷した後、郷里の製糸工場の指導者として活躍した人がたくさんいました。
その後の富岡製糸場は官営から明治26年(1893年)に三井、明治35年(1902年)原を経て、昭和14年(1902年)から片倉工業㈱に移転しました。
昭和62年3月5日に操業が中止され、現在は管理事務所が置かれています。
富岡製糸場(現片倉工業㈱富岡工場)
所在地:富岡市富岡1番地
※群馬県HPから引用
群馬シルクについて
私たち、ミラノリブでは、群馬県オリジナル蚕品種について研究開発しております。
~国産繭の44%は群馬県から、国産生糸は30%が群馬県から~
天平勝宝4年(西暦752年)群馬県から朝廷に「あしぎぬ」が献納され、現在でも正倉院の御物として保存されています。
このように、群馬の蚕糸業は、文献に明記されているだけでも1200年以上の歴史と伝統があります。
この間、蚕糸技術は、多くの先人達により伝承され発展し、経済を支え文化を育み、今日に至っています。現在でも、本県は国産繭の44%、生糸は約30%を生産する日本一の蚕糸県です。
また、高い蚕糸技術は「世紀二一」や「ぐんま200」という群馬県独自のオリジナル蚕品種を開発し、県産繭100%にこだわった「群馬の生糸」として、
しなやかで風合が良く、気品と光沢、染色性に優れた高級生糸を生みだしています。
この実績から、国内はもとより、海外からも高級絹織物素材として「群馬の生糸」の評価は高まっています。今後とも、生活の中に脈々と息づいてきた「本物
の絹づくり」の伝統を受け継ぎ、日本の民族的伝統産業である蚕糸絹業の維持発展を図り、豊かな絹文化の創造を多くの皆様と共に進めます。
群馬県では、オリジナル蚕品種の生糸・絹製品の生産と販売促進及びブランド化を図るため、「ぐんまシルク」認定委員会により審査し、認証シールを発行して「ぐんまシルク」として認定しています。















